こんにちは、いのもちです
対話を通して他者と一緒に悩むことは、
自分のしんどさを軽くし、
より深い理解のもとで悩みと向き合える可能性をもっているんじゃないか
そんな仮説を、初めての対話型イベント企画/運営の経験を交えながらお伝えしたいと思います。
企画・運営したイベントのタイトルは「迷えるマジョリティのための集い~マジョリティとしてのモヤモヤについて話そう」
当事者でないこと、抑圧する側の属性に当てはまってしまうこと、不自由なく生きられてしまうこと。
そういう側面を持つ人の中で、自分と異なる不自由な立場の人の前や抑圧されている現場に立ち会ったときどう振る舞えばいいのか悩む人たちに集まってもらい、悩みを共有しながら、対話をするという企画でした。
企画を終え、対話自体がプラスをつくるという視点から、対話を通して一緒に悩むことの価値について考えたことを書いていきます。
対話型イベントとは
対話型イベントとは、ある問いについて参加者が自分の考えを語りながら、思考を深めていく場のことです。
考えていく中で他者の考えを受け取って自分の思うところを話すこともあれば、自分の考えの発信はせず聞き考えることもあります。
哲学カフェって聞いたことありませんか?哲学カフェも対話型イベントのひとつのかたちですね。
「幸福って何だろう」「お金は大事なのか」「性別って何?」「無宗教ってなんだろう?」などなど色んな問いを立てて考えられています。
特に、日常生活でじっくり語る機会はないけれど、問いかけられてみるとそれぞれに考えを持っているような問いですよね。
対話を通して一緒に悩む
対話をする中で、自分の考えや捉え方と他者の考えや捉え方とのズレがみえてきます。同時に共通する点も見えてきます。
これによって、問いの本質は何か、自分はどう捉え、考えているのかが見つめなおされるのです。
すると、自分と問いとの関係性がわかってきます。自分がその問いにどう関わり、ふるまっているのかということも。
このようにして思考が深まっていくのです。
問いと自分の考えとをかたどっていく
対話は複数人で行われるものです。
参加者はもちろん独自の価値観を持っていて、同じ問いに対しても、注目するポイントも、見る立場も、見えている側面も範囲も違います。
これがズレや共通性が見えてくるミソです。
他者の意見で提案されたものに、課題や自分の考え方が、含まれる/含まれない・共感する/共感しないというような判断をしていくことで対象の輪郭を捉えていくことができます。
また、自分の考えを語る際にも、かたどることが行われます。
自分の中でできている考えを他者に理解される形で言葉にしようと試みるからです。
これを通して自分のもつ前提や考え方の傾向が分かってきます。
他者と一緒に考えるからこそ、問いの見え方が変わってくるのです。
私の抱える悩み
私にとってマジョリティとしての悩みは、マジョリティとしての自分が他者を傷つける可能性を分かっていて、さらに回避のためにすべき対応を想定できるにもかかわらず行動に移せないことでした。
例えば、肌が白くブロンドの髪をした人につい英語で話かかけてしまうとき、その人は日本に住んでいて日本語が堪能かもしれない。
つい「彼女は?」「彼氏は?」と聞いてしまったとき、その人の性別は外見と一致しているとは限らないし、男女で分けられるものでもない。恋愛対象が異性とも限らないし、そもそも恋愛をしない人もいる。
「パートナーは?」と聞くべきだったかもしれない、そもそも恋愛の話をしないほうがよかったかもしれない
人を見た目や属性で判断すると、相手の状況を決め付けることになると分かっていて、よりベターな対応を知っているのにそれをできない。
そんな自分の抱えるしんどさをどうにかしたい、態度で示し変えていきたい。
そういう悩みがありました。
見えてきたこと
先日のイベントでの対話を通して、新たな視点を得られました。
その1つが、「問題に対して戦う姿勢を見せるのではなく、できるときにユーモアを交えてその問題から降りる」ということです。
自分はやらないよ、賛成しないよと周囲に対してライトに伝えること。
私が意見を聞いた時は、女性のお茶くみが例でした。
未だに一部の会社では、女性がお茶を出す役割を割り当てられている現状があります。いつもその会社では女性がお茶を出しているというとき、出されたその時に「男が入れるお茶ってまずいんすかね笑」みたいな感じで発言をしてみる。
正面切った否定や抵抗ではなく、ライトにわたしは賛同しませんよ、と発信するという意見です。
私はそれまで無意識に、真剣に問題に対抗しなくてはというような気持ちがあったので、捉え方を改めるきっかけになりました。
他者とともに考えるとき、見え方や考えが見つめなおされることによって、自分の考えや言動に改めて意味付けができることがあります。
これが悩みやしんどさを解決する糸口になるんじゃないかと私は思っています。
私の悩みの場合、対話を通じて、自分の今の悩みの元になっているものについて仮説が立てられました。
それは、マジョリティとしてマイノリティの抱えうるしんどさに誠実に向き合いたいという気持ちと自分が傷つくことへの恐れの気持ちとの葛藤です。
この2つの気持ちを自分で言葉にして受け止められたことで少し気持ちがラクになったと感じました。
イベントをつくる過程も対話
問いを立てる
対話イベントを企画するのにまず必要なのは、問いを立てることです。
自分たちが参加者と一緒に考えたいことは最初は非常にぼんやりとしています。
それを明確に言葉にしていくのが問いを立てるという過程です。
他者に提示しなくてはいけないため、できるだけ理解しやすいように言葉にしていきます。
複数人で企画するときは、そもそも前提にしている事例や状況を共有するところから始まります。
例えば、私たちがキーワードに選んだ「マジョリティ」という言葉も想定するものは人によって違います。
数で考えるか、力の強さで考えるか。男性?白人?日本語話者?健常者?でも状況によっては女性かな?英語話者かな?という具合に。
これらをすり合わせていくことで、自分たちが考えたいことの輪郭をつかんでいきます。
問いを分解し、言葉に置き換えて意識していくことです。
一緒に企画する人は、同じような悩みを抱えている人である場合が多いかと思います。
これも、自分の考えを深めることにつながる対話であり、悩みに対処するための方法の一つだと思います。
運営する
当日は、対話の場を回していく役割があります。
私が試みたことは、対話の場に出ている意見の関係性を整理して、参加者が考える材料にできるように再発信することです。さらにはそれらのをもとに問いを投げかけることです。
正直非常に難しく、満足にできたとは思いません。
しかし、これを試みることで、全体の意見の関係性をより意識して聞くことができました。
今度からは、参加者がよく使う言葉や言い直している言葉に注目したいと思っています。
そこに、前提や自分でもまだ理解しきっていない考えがあると思うからです。
さらに、つくることから対話を見たときの特徴は、問いの本質を捉えることにより長い時間がかけられることや、連続して同じメンバーと同じ問いについて考えられることがあります。
まとめ
他者と悩みを共有し考えることには、自分一人で考えるよりも、問いの捉え方・考え方を見つめなおすチャンスがあります。
それによって、自分の中で問いへの理解が深まり、考えも深まっていくからです。
対話を通して他者と一緒に悩むことは、自分のしんどさを軽くし、より深い理解のもとで悩みと向き合える可能性をもっているんじゃないかと私は思っています。
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