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本当の自分はどこにいる?

みなさんは日々の中でキャラクターを演じることはありますか?

 

テレビやSNSの影響からか昨今は様々なキャラクターがあります。

天然キャラ、いじられキャラは多くの人が聞いたことがあると思います。更には陽キャや陰キャといった言葉も学生を中心に広く使われています。

もっと広い範囲で言えば優しい人、元気な人、おしゃべりな人なども一種のキャラクターかもしれません。

そういったキャラクターは自分で演出することもあれば、周りの人が求めることも少なくありません。

そんなキャラクターに溢れる日々の中で「本当の自分て何だろう?」「いったいどれが自分でどれが演じている自分なんだろう」と考えたことはないでしょうか?

僕は中学生のころから徐々に意識するようになりました。

 

周りに合わせて自分らしくない騒ぎ方をしてるなあ・・・。

この子と一緒にいるときの自分はまじめなのに、あの子と一緒にいるときの自分はお茶らけて怒られたりしてる。

 

そのため上のようなことを頻繁に考えては、どの自分が素でどの自分がキャラクターなのかよくわからなくなっていました。

今回はそんな経験からたどり着いたある人の考え方、「本当の自分とは?」に対する一つの答えをご紹介します。

 

結論を先に言ってしまうと、「本当の自分はいない」です。

 

本当の自分はいない

 

今回紹介するのは、小説家である平野啓一郎さんの「分人主義」という考え方です。

 

「分人主義」とは簡単に言えばいろんな自分があって当たり前だよね、というものです。

いろんな自分というのは、

例えばAさんの中には、

・学校用の自分

・サークル用の自分

・バイト用の自分

・恋人用の自分・・・

の様にたくさんの自分がいる、といった具合です。

 

この分人主義では「自分」という存在は「他者」がいて初めて引き出されると考えています。

誰かに見られることによって、誰かと話すことによって初めて自分が引き出されるのです。

 

なんだか抽象的な話になってきましたがそんなに難しい話でもありません。

例えば私たちは小さい子供と接するときには、ちょっと声が高くなり、話すのがゆっくりになり、簡単な言葉を使うようになります。

しかしこれらの特徴は誰に対してでも現れるわけではありません。大人の人と話すときに簡単な言葉を使おうとは意識しませんよね。

上のような話し方をする「自分」は「小さい子供」という他者の存在があって初めて現れるのです。

 

このように他者と接するときには、”その人用”の自分が現れます。

これが「他者によって自分が引き出される」ということです。それは同時に引き出す他者が変われば引き出される自分も変わることを意味します。

そのため人によって態度が変わったり、いろいろなキャラクターの自分になるのは当たり前と考えているのです。

 

いろいろな自分がいて当たり前なのであれば、唯一絶対の本当の自分はどこにも存在しません。

逆に言えば演じている自分も含めて、全てが本当の自分でもあるのです。

 

見つけるのではなく知る

 

「本当の自分」であったり「自分探し」のような言葉はどこかに「正解の自分」がいて、同時に「不正解の自分」がいるようなニュアンスを含みます。

しかし上のように考えれば全ては本当の自分であり、偽物の自分はどこにもいません。

 

であれば、「本当の自分」を見つけようとするのではなく、たくさんいる自分を知っていくことが大切なのではないでしょうか。

 

様々な人と関わる中で、

「こんな話し方の自分もいるんだ」

「こんな風に騒ぐ自分もいるんだ」

と新しい自分を知っていく。

そのうえで「この人と一緒にいるときの自分は好き!」と思えるような誰かと繋がっていけたら、そういう人と過ごす時間を増やしていけたらとても素敵だなと思います。

 

アイデンティティを考える

 

さて最後になぜ「本当の自分」について悩むのかを考えていきます。

 

みなさんはアイデンティティという言葉を聞いたことがありますか?

心理学や社会学の用語ですが日常生活でも広く使われる言葉なので聞いたことがある人も多いかもしれません。

 

アイデンティティとは簡単に言えば「その人らしさ」のことです。

 

例えば名前や見た目、考え方はその人のアイデンティティを形成しています。また人以外でも特徴的なロゴマークは企業や団体のアイデンティティといえます。

 

この言葉を提唱したエリクソンという学者はアイデンティティを確立すること、つまり自分が何者なのかを自分が知ることは思春期、青年期の課題であるといいました。

 

なぜ自分自身を知ることが青年期の課題なのでしょうか?

 

その理由の1つには「青年期」という時期が大きく関わっているように思います。

青年期というのは13歳~20歳ごろまでにあたります。現代にあてはめると中学生~大学生ですね。

 

この期間は大人と子供の境界です。

守られながら社会を知り学ぶ期間を経て、その社会で働きだす一つの境目です。

 

そういった期間に自分自身が何者なのかを知ることには大きな意義があります。

自分自身を知るということは自分が何を望み、拒み、好み、嫌う人間なのかを知ることです。それらは社会に対してどう関わっていくかを決めるうえで大きな指針となります。

 

だからこそ青年期に本当の自分て何だろう?と考えることはとても大切なことであり、また同時に当然のこととも言えます。

ともすれば青年期だけでなく、転職などの人生の重要な転機において悩むことも同じことなのかもしれませんね。

 

自分を知るうえで他者との対話はとても大切な要素です。

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